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人事制度

働き方紹介

Case 1
子の看病と仕事の両立。
「働き続けたい」という想いに応えてくれる職場です。

・合流年度:2008年合流
・性別:女性
・部署:製造部門

私には、現在11歳の長女と7歳の次女がいます。次女は妊娠7か月のころ、産婦人科医から「ご愁傷様ですが…」と言わんばかりのニュアンスで数万人に一人の重い心臓病であることを告げられ、他県の大学病院への転院を勧められました。私は産休に入ると同時に大学病院に管理入院し、次女は産まれてすぐに集中治療室に入り、私は大学病院近くにウィークリーマンションを借りて看病を行いました。

テキストアミタの規程では、育児休業は最長で1歳6か月まで。その間に次女は手術や検査で入退院を繰り返しました。ですが、一番大事な最後の手術の予定は1歳7か月ごろ。ハイリスクな手術ですので、どれくらいの期間で回復して普通の生活ができ、保育園に入れる程になるのか全く予測がつきませんでした。

長女出産時の経験で、アミタでは産休・育休からの復職がスムーズにでき、短時間勤務、急病対応のための急なお休みについても皆が理解して温かくフォローいただけることはわかっていましたが、さすがに次女の場合は…。育休後は休職を申請しようか、それも長引けば辞めるしかないかな、と悶々としていましたが、育休終了前の面談で当時の人事担当者からいただいた言葉は、全く予想もしていなかった「では、在宅勤務をされてはいかがですか?」というものでした。

在宅勤務制度があることは知っていましたが、まさかそんな虫のいい話、と選択肢にいれていなかったので、帰りの車の中でとても心が軽くなったのを覚えています。その後、チームのメンバーが仕事を調整して下さり、在宅勤務を開始しました。在宅勤務中も次女は入退院を繰り返しましたので、会社から貸与されたポケットWi-Fiを使って病室で業務を行ったこともありました。

次女は1歳11か月で最先端医療の治験を受け、2歳半で保育園に入園許可をいただけるほどになり、私は1年の在宅勤務の後職場復帰し、その後、短時間勤務制度とAMITIME制度(※)を活用しながら勤務を続けています。

※AMITIME制度…育児や介護などの理由で休みが必要な社員が、他の社員の未利用で消滅する年次有給休暇を使用して、休暇取得・時短勤務ができる制度

今では病気と言っても信じてもらえないほど元気な次女ですが、完治するものではないので身体障害者の認定を受けています。次女の病気は数万人に一人のレアケースですが、出生前に検出できないなんらかの障害を持って生まれる赤ちゃんの割合は意外に高いです。が、働く意志のある障害児の母のうち、安定した就労ができる人は5%というデータもあるのが現状です。

私は、アミタの皆さんや日本の医療技術・福祉制度、家族、次女の頑張りによってその5%に入ることができ、今、少しずつ仕事を通して恩返しをしているところです。

内容は2018年時点のものです。

在宅勤務については当時と制度が変わっており、現在はフレックス制度も含めて、多数の社員が実施しています。社員のQOL を向上させるとともに、組織として最大限の成果をあげられるような働き方を推進しています。

Case 2
「迷惑かけてごめんなさい」ではなく
「いつもありがとう」と言える関係性に感謝

・合流年度:2004年合流
・性別:女性
・部署:管理部門
・役職:チームマネージャー職

私は10代のころから珍しい持病を抱えていて「自分は人並みに働くことができるのか?」とずっと不安に思っていました。社会課題を解決するというアミタの事業に惹かれ、縁あって合流(※アミタでは入社のことを合流と呼んでいます)しましたが、体調の悪い時期には週に3日、それも午後半日しか出勤できないというような期間が長くありました。

動けない自分が情けなく「ここにいていいんだろうか?」と悩みましたが、そんな葛藤を多くの仲間が笑い飛ばしてくれました。「そんなくだらない悩みに脳みそを使うんじゃない。」「体の弱い人は働けない会社とか思ってる?舐めんな(笑)」など冗談を言いつつ「働ける喜びを知っている君にしかできない仕事をすればいい」と、私との会議は午後に組む、フォロー体制を敷く、休んだ日の出来事を積極的に教えるなど、皆で支えてくれました。

特別な制度や上司命令がなくても、助け合うことが当たり前という社風がアミタにはあります。それは社員みんなが同じビジョンを共有していることが大きく関係していると思います。

おかげ様で、少しずつ体調も良くなり、今はマネージャー職として部下を預かる身です。上司も部下も、私の持病を「一つの個性」と捉えて支援してくれています。「迷惑かけてごめんなさい」ではなく「いつもありがとう」と言える関係性にとても感謝しています。

内容は2018年時点のものです。

Case 3
突然の病、6年間支え続け、待ち続けてくれた仲間たち

・在籍期間:2002年合流~2019年退職
・性別:男性
・部署(在籍当時):営業部門
・最終役職(在籍当時):リーダー職

合流9年目の32歳のころ脳梗塞になりました。既に結婚して1歳になる娘がいましたが、突然の事態に私と同じくらい妻も驚いたはずです。めまいや失調(手足の一部が思うように動かないこと)の症状が思うように改善せず、入院期間が長引きました。アミタは休職制度が整っており、一部収入を保障してもらいながらリハビリを続けましたが、それでも制度の期間内では発症前と同じ状態に戻ることができませんでした。

そのとき、人事部門のメンバーが私の体の状況を詳しく確認してくれて、最も負荷なく、リハビリを続けながら仕事ができる、在宅勤務+時短勤務という働き方を提案してくれました。(※)また仕事内容についても、上司や同僚たちが大変配慮してくれて、当時私の力が一番発揮できる業務を整えてくれました。その後も仕事の負荷を段階的に以前の状態に戻せるよう、配置や業務内容を調整いただき、最終的には休職前と同じ営業部門に戻ることができました。

一時は社会復帰を諦めかけたこともありましたし、同じ病棟でリハビリをされていた方で思うように仕事に戻れなかった方も実際にいらっしゃいました。そんな中、私は元気に仕事をし、発症前と同じ営業職に戻ることができました。仕事に戻るまで6年かかりましたが、根気よく私の体調を気遣い、支えてくれた会社の仲間のおかげで今の自分があります。

私のような経験は特別なことのように思うかもしれません。しかし、誰にでも同じ境遇になる可能性があります。幸い、今の私は元気に仕事ができる立場にあるので、仲間が仮につらい境遇になった時、今度は私が支えになる存在であれたらと、ささやかながら思っています。

今、私はアミタを退職し、妻の実家の家業である木材加工の仕事をしています。アミタを離れることになりましたが「持続可能社会をつくる」「心豊かな未来を実現する」という思いはもちろん変わりませんし、今でもアミタの仲間と密につながっています。困ったときは相談したり、時には一緒に仕事をしたりしています。子どもを持つアミタの社員に、学習机や絵本棚を作っているところです。人生を豊かにしてくれるかけがえのない仲間と出会えるのが、アミタというフィールドだと思います。

内容は2020年時点のものです。

在宅勤務については当時と制度が変わっており、現在はフレックス制度も含めて、多数の社員が実施しています。社員のQOLを向上させるとともに、組織として最大限の成果をあげられるような働き方を推進しています。